2007年03月06日

愛国心について(その2)

 ボクが生まれたのは大阪の片田舎だった。
 裏の野原からは生駒山や信貴山、金剛山が望めたし、大和川もすぐそばを流れていた。
 稲が刈り取られた後の田んぼは、中当てやら凧揚げ、鬼ごっこをする恰好の遊び場。
 友達と日がな一日遊んでいた。
 ボクは両親と祖父母と弟と猫と一緒に暮らしていた。
 絵に描いたような大家族で、今から思えば賑やかな楽しい日々を送っていたように思う。
 親戚からはもちろん、隣のおばちゃん、おっちゃん、お姉ちゃんからも家族同然にかわいがられ、酒屋や八百屋、村の住人からも色々声を掛けられながら育った。
 やがて幼稚園、小学校、中学校へと進学するに従って、自分の行動範囲、世界もどんどん大きくなっていった。
 友達も多くなり、交友関係も同じように広がっていった。
 狭い家から近隣の地域、村から小学校区、中学校区へ。
 高校は電車で大阪市内まで通うようになり、大学へは・・・とうとう上京するまでになった。
 こっちに来てもう18年になる。
 住んでるのは一貫して埼玉。
 大阪で暮らした年数を超えようとしている。
 結局ボクはそのままこっちで就職した。
 そして行動範囲と交友関係は関東を中心にますます広がっていった。

 ひとつ、こっちで暮らすようになって気付いたことがある。
 「大阪」がこよなく好きだということ。
 毎週テレビで見ていた吉本新喜劇も、高校のときよく通った日本橋も、天王寺公園も・・・軌道が狭い?近鉄南大阪線の車両も中学校のグラウンドも、通学路横のキャベツ畑も・・・川を渡る歩道橋も小学校の古い校舎も・・・当時の先生も友達も・・・親戚のおばちゃんらもウチの家族も。
 本当に好きだということ。
 ココロの中から自然と溢れてくるそういう穏やかな感情。
 親から始まって・・・家族を、親類を、近隣を、村を、小学校区を、中学校区を、そして大阪を、と対象はどんどん広がっていった。
 その愛情の対象は、自分の行動や思考と一緒に広がり、また歳とともに深まっていくのを経験的にボクらは知っている。
 きっとボクは埼玉、そして関東も好きなんだろうな。
 これまでに知り合った友人、通った職場、大学、今まで登った山々、思い出の海が存在する関東地方を、やっぱり愛してるんだろうなと思う。
 そしてその延長線上にあるのが日本という国であるような気がする。

 で、ここからが本題。
 それでは国を愛する心、愛国心とは一体何なのか。
 ボクは愛国心というのは、親子愛、近隣愛、母校愛、郷土愛と比べて決して特別なものではないし、また、単独でそこに存在するものでもないと思っている。
 愛国心は他のものへの愛と一緒に語られるべきであって、またそこでとどまってしまうものでもない。
 本来は日本から近隣諸国へ、アジアへ、世界へ、人類全体へとその対象を拡大させていくべきであって、愛情の対象をひとつの国にとどめておこうとするのは極めて不自然な形だと感じる。
 安倍自民が学校教育での「愛国心」を強調するのは、そういう自然な形で発生する「愛国心」の存在を否定するもの以外の何者でもない。
 一連の流れから考えて、家庭や地域での関係が稀薄になり、学校が崩壊している現状の中で、国を愛する心だけを強制するというのはかなり異常なことだと言える。
 人が成長する上で関わっていく、家族や地域、学校や会社、地方社会のあり方を根本から問わずに、もしくはお茶を濁しながら、「国を愛する心」だけが言及されていくのは極めておかしな話だ。
 ましてや地域や郷土、自分の周りの人々への愛情をまだまだ充分に認識できていない小中学生に対して、「愛国心」だけを飛び級的に学ばせようというのは一体どういうことなのか。
 「愛国心」は、他の愛情と一緒に連続性の中で語られ、体得されていくべきもの。
 一方的に大人から押し付けられ、評価されながら知識として学ぶ「愛国心」や、「国」という枠にはめられてそれ以上の成長拡大を許されない愛するという感情は・・・何ともやるせない「いびつな形のもの」になるに違いない。
 それは本来あるべき「愛国心」とは似ても似つかないものになるだろう。
 ココロが痛む。

jizo.net: 「愛国心」について(その1)

投稿者 jizo : 2007年03月06日 21:25 | トラックバック (0)
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