おにぎりどころか煎餅一枚かよ。
それを朝と晩に分けて食べてって・・・。
しかも餓死する直前まで息子のことを気にかけながら。・゚・(ノД`)・゚・。
言葉が出ないよ。
90年代の東京で起こった事件とは到底信じられん。
この当時、俺は福祉関係の仕事に従事していたくせに、毎夜有楽町とか丸の内で酔い潰れてたんだよな。
当然、事件のことは知ってたけど、こんな悲惨な内容だとは全然知らなかった。
恥ずかしい。
社会情勢がどうであれ世界経済がどうであれ、こんな悲しい事件はあっちゃいけない。
・・・とは言え、結果的にこうなってしまった経緯が見えないのも事実。
申請主義の弊害もあるのか?
俺この「餓死日記」読みました。
3月11日に「食事が終わっ」て、死亡推定日が4月4日ですからね。
この間の数週間のことを思うと・・・。
母親が役所には世話にならない、という考えだったみたいで、どんなにきつくてもわずかな年金から家賃を支払って、電気も水道も止められた状態で煎餅かじって最後まで暮らしていたってことらしいですね。
申請主義もそうですけど、都会の人間関係の希薄さも浮き彫りにした事件だったように思います。
「ゆたか」なはずのこの国でなぜ、とおも思いますが、「ゆたか」になっちゃったからこそこんな事件が起きてしまい、そして今後も起き続けるのかも、とも思います。
嗚呼。
学生の頃東京に住んでて、田舎にUターンした友人の話を聞くと、田舎の人間関係の濃さに嫌気が差して、タマに東京に戻りたいと思うときがあるそうです。
人間関係の希薄さを求めて東京に住んでる人って、実はかなり多い気がします。
「今日の自由のきく生活のままで、」って部分が読んでて変に心に残ったんですよねえ。
難しい。
んーなんつーかそこが、なんで?って思うとこですよね。
なぜ都市部と地方でそこまで人間関係のあり方が極端から極端にふれちゃうんでしょうね?
なぜ中庸ということがないのか。
互いにプライバシーは尊重しつつも、必要なところは助け合うってのがなーんでできないんでしょうか・・・。
田舎独特の古くさい息苦しい人間関係がいやなのはいいとして、そこからの脱却がなぜとなりで障害者抱えた老婆が餓死するまでほっとかれるとこまでとんじゃうのかしら。
これって東京だからなんすかね?
確かに極端だなあという気はします。
ただ何となくですが、これは地方と都会という地勢的な相違、経済産業の規模や内容における相違と言うよりは、実はむしろ単純に住宅形態の相違に起因してるような気がするんですよね。
一戸建て住宅と、アパート・マンションなどの集合住宅における建物構造の違いとか。
そこに住む人の傾向の違いもある。
前者は定住者が多いだろうし、後者は一時的に居住する人が多く集まるイメージがあります。
2世帯住宅なんかを参考にして、まずは一戸建て住宅と集合住宅の中間の住宅形態を考えてみるのもひとつの手かと。
なるほどー。
確かにそうですね。
ひとり暮らし高齢者の調査とかやると、住居形態が孤立の度合いとかなり相関が見られます。
都市部での典型的な孤立ケースではやはり民間借家のアパート暮らしで多く見られる傾向があります。
これが地方、特に中山間地域ですが、に行くと持ち家戸建ての住居形態が圧倒的に多くなって、全体的には孤立ケースは少なくなります。
結局住居形態の全体的な傾向が都市部と地方とで大きくチガウということも言えますし、都市部では経済状況が住居形態に大きく影響しているという面もあり(ビンボー人は民間アパート)、結局いろんな要素が複合的にからんでいる、という結論にならない結論になっちゃうんですけど・・・。
長々とからんじゃってすいません、福祉系のネタだったもので(笑)
「結局いろんな要素が複合的にからんでいる、という結論」
まあそこですわな(^^;)。