ホームレスのテントに火、中3の2人を再逮捕 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
<全文>ホームレスのテントに火、中3の2人を再逮捕
兵庫県尼崎市で3月、ホームレスの男性のテントが燃やされる事件があり、尼崎北署は30日、別の事件で逮捕した市立中3年の男子生徒2人(いずれも14歳)が火を付けたとして、殺人未遂容疑で再逮捕した。
2人は火を付けたことを認め、「死んでも構わないと思った」と話しているという。
(2010年4月30日14時46分 読売新聞)
「死んでも構わないと思った」ということは、彼らの日常生活の中で「ホームレスは死んでも構わない」と言ってる大人たちがいるということだろう。
親かな?
先生かな?
近所のおばちゃん?
流石にテレビでは言わないだろうから・・・ネット掲示板とかでかな?
子どもはセンシティブに周りの空気を読むからね。
もしかすると社会全体が「ホームレスは死んでも構わない」という空気を発していたのを感じ取ったのかもわからない。
ホームレスと言わずとも「弱者」で言い換えれば、似たようなことを言ってる大人は少なからずいる。
ホントは違うんだけどね。
ホームレスであれ、障がい者であれ、子どもたちであれ、老人であれ、「弱者」は社会の中心で守られなくてはいけないし、そうすることによって社会を構成する人同士が心安らかに生活していけるのだと思う。
本来、「弱者」はその社会のバランサーであり、社会を存続させる求心力でもあり得る。
泣くことと笑うことしかできない赤ちゃんが、その家庭の太陽であり、中心であるように。
仮にもしこれ以上「弱者」を疎外するような社会が形成されてしまえば、一握りの強者(勝者)とその他大勢の弱者(敗者)しかいない全体として不幸な構造の社会に陥ってしまうだろう。
勘違いしている人も多いが、この世は元々弱肉強食の世界ではない。
ただ、世界的に信奉されている現代資本主義の原理が、たまたま弱肉強食であったというだけの話だ。
かつて、「この子らを世の光に」と 言い切った糸賀一雄は、そういう意味で人間社会の本質を鋭く読み解いていたんだと思う。
日本も、早く「弱者」を中心に据える価値観の社会へと変わっていってもらえるとありがたいんだが・・・。
投稿者 jizo : 2010年05月01日 13:46 | トラックバック (0)